芝ノ浦ともいう(廻国雑記)。東京湾の港区側一帯を示す広域称。文明18年の「廻国雑記」に「芝の浦といえる所にいたりければ、塩屋の煙うち靡きてものさびしきに 塩木運ぶ船どもを見て、やりぬよりもしほの煙名にぞたつ舟にこりつむ芝の浦人」とある。芝は中世から江戸湾の重要な湊で、戦国期には小田原北条氏の水軍の一拠点であった。江戸期は芝浦の名称は「本芝町の東の海浜をいう。浜口・新橋より南、田町のあたりまでの惣名なり」とあり、雑魚場と号して漁猟の地であった。ここでとれた魚は芝肴と称して、江戸市中へ出回った。明治5年、芝浦海岸沿いに東海道線が開通した際、海岸線を通るため埋立が始まり、現在は旧海岸線は 一面住宅地と工場が入り混じる地域に変貌した。
~角川日本地名大辞典